Kaz S. Matamura

about Life of Squid, Chicken Y Squicken

ロスではじめて演劇制作(Produce)をしたのは早くも15年前. 1週間の公演を$5000でおさえて黒字を出し、”出費の7割は箱代(劇場借り賃)なのだから、箱を建ててしまえば黒でずっとおさえることができる” と思い、シークレットローズシアターを建てました.

ところがそれは大間違い。

まず、ロス市は当時ノースリッジ地震の後ということもあり、建設基準がとても高く厳しく 劇場の工事費$250,000(2千5百万円くらい)、工事期間14ヶ月も費やしてしまいました.

そのうえ、劇場のこけら落とし1ヶ月前に 旗揚げのマダムバタフライを監督していた、ビジネスパートナーでもあった恩師マルセデス・シャーリーが他界。 心臓発 作だったので家族、キャスト、業界と大きなショックを受けました。 しかし、そこで落ち込んでしまったらこの劇場をきちんと開けることができないと言いき かせ、団員みんなが力を合わせ予定よりちょっと遅れてしまいましたが 1999年3月5日に こけら落としとなりました.

その日、銀行口座に残っていたのは$120だけ。こけら落としにこぎつけた!と、ほっとしている暇はなし。 自分たちが劇場を使っていない間の借り手、プロデューサーをみつけなければいけません。 劇場を持ってしまうと、制作をしてないときでも経費がかかる、など “青”の私は全く考えていなかったのです.

第一募金者はあの ポール・ニューマン. 彼はマーセデスの友人であり、“彼女の夢をあきらめないでくれ”というメッセージとともに小切手が送られてきました。

若いときの苦労は本当にすればするほど賢く強くなれるもの、本当に良かったと思っています. どんな苦難でもそれを乗り越してしまえば “良いお話” “話の種”になるものです。

15年間で製作方法が全く変わってしまいました。 昔は “人と人との付き合い、”のような 文化と人の交流の場の雰囲気がありましたが、いまやすべての劇場は生き残ることに精一杯.ネットワーキング、プロモーションとセンセーションで売り上げが決まる時代.

私の劇団も昔はチケットの売り上げだけで 次回作の製作が出ていたのですがここ3年はメンバーシップと稽古代でなんとか制作費を出そうとしています。

先日、いくつか企業に スポンサーシップの提案書を出してみました. これで何か反応がありましたら皆さんにも “こんな風に書いてみましたよ”とお知らせします。

今週日曜日は アメリカ人劇団が アリガト会の為にコスプレショウーを開催し “瞼の母”の制作費を集めてくれています. 来週に結果報告をしますのでお楽しみに.ちなみに ホームページは www.lacosplay.comです。

“又村さん、よく人前で話すの大丈夫ですね〜.”とよく云われます. 英語でも日本語でもMC、アナウンス、いつでも何処でもべらべら喋っています.

賞の贈呈

不思議で仕方がないのがなぜ多くの日本人が自分のアクセントを気にしすぎて話さないのか、ということです.

エリン (マイケルの娘)の彼氏はアイルランド人です. アクセントがバリバリ、アメリカ人でも何を言っているのか分からないことがたびたび.でも そんなこと彼自身全く気にしていません. “could you say that again?” “come again?” と聞き返している私たちの方が気を使ってしまうくらいです.

また、近所のドーナツ屋のおばさんも同じように 通じなくてもかまわんぜ、といった様な態度で “you neeeeecusto” “faibu dallah” と 韓国語なまりで平気に明るく毎朝お客さんに対応しています.

(ちなみに私の住んでいるこの辺り、レッドネック地域でもあるのです...レッドネックについてはまたあとあとお伝えしますよ〜)

アメリカは多国民が協力して築き上げた国.ばあちゃんはイタリア語しか喋れなかった、田舎にかえると会話はすべてスペイン語、などよく訊きます.だからといって開き直れといっているのではありませんが、もうすこし 日本語のアクセントに引け目を持たずに 堂々と会話に参加しましょう.

語学というのは コミュニケートするための物. ひょっとしたら学問、学歴というのは 自分をかっこ良く魅せるための物とかんがえてしまいがちの日本人には 人前で間違えをおかしそれを克服しながら上達していく語学はアプローチしにくいのかもしれません.

“お熱いのがお好き”の最後の台詞、Nobody’s perfect をこころに 堂々と英語で話して上達してくださいね.

(2011年元旦)

第七回10分劇フェスティバルチラシ

第七回10分劇フェスティバルチラシ

無事にロスにて日本より17時間遅れて年越しいたしました。 おかげさまで2010年は公私ともに 最高・psychoな一年になりました。

まず、今年の1月には3 “第7年度10分劇フェスティバル”を2週間にかけて14作を製作。 ほぼ “満員御礼”が続き アメリカ演劇界では1人劇・モノログ劇の神様とよばれる ポールリンク氏と一緒にお仕事することができ、 審査員には こちらのコメディー番組(ウィルアンドグレース等)の制作、脚本を手がけることで知られるアダムバー氏にも参加していただき、 最終日の”the best of…”(21作品の中から選ばれた6作品を公演し、その中から最も優れた作品が発表される日)雨ながらも大入! 同日の打ち上げパーティーはよるの1時まで続きました。

ロンハワード夫妻の真ん中が娘のペイジ、チャーリとタラ。 演出した”ベッド”のキャストの4人です。

そのあとすぐに 短編もの新作シリーズ ”ベットルーム・シークレット”を発表。やはりアメリカ人役者もミーハーで、有名人が参加となると”われもわれも”と出演したくなるようで、今までの作品の中で何よりも楽なキャスティング・配役。 この作品を通じて チャーリー・シュレイター、ジム・ビーバー、タラ・ストロングと親しくなり今の有名人が入団しやすい”新ニューローズ”のアイデアが誕生。2011年中にメンバーを50人に増やす予定です。

Dinairのファンタジーメークです。またマイケルに撮ってもらいました。

今年の夏から ダイネアーというエアーブラッシメークアップ会社にコンサルタントとして働くことになりました。 もともと、インターカルチュラルコンサルタントとしてのお仕事だったのですがなぜか “日本マーケット専門”と位置づけされてしまいました。 エアブラッシのメイクは“よれない、色が長持ちする、ナチュラルに仕上がる、”といった利点があり、また手先の器用な日本人にはすぐテクニックが身に付きま、日本からの素敵なメークアップアーチストさんもよくいらっしゃいます。 http://www.travel-a-s.com/airbrush.htm

(人との出会いというのは不思議なモノでこのお仕事を通じておあいした 東出さんには日本で私が演劇を教える際、大変お世話になりました。)

招待状の裏面

8月にはarigatokaiが土曜日に3週連続公演をしました。 こちらはコンパクトに巡業公演ができるようにした“耳なし芳一”と“屋上の狂人”の2本だて。3週間の公演の方が圧倒的に役者として上達がみえる!ということが明らかになりました。 ロングランでの公演があってこそプロとしての成長がきたいできますね。

11月には12年ぶりに日本へ帰国。 演劇の講習、又村家との再会、仙台の紅葉などなどバラエティーにあふれた8日間(実6日)でした! こちらはまた別にあとで写真と小話を。

さてさて、帰国したこちらは11月の謝肉祭をこしてしまうと ’ホリデームード”になり、アメリカ人はあまり働きたがりません。元々 今年の12月に行われる “第8年度10分劇フェスティバル”では グループC (三週目)で行われる2作しか演出しない予定だったのですが、デレクター(演出家)や役者の心変わりで結局6作も演出することになってしまいました。 やはり、稽古の時間がない場合、何よりも大切なのは “才能よりも適切な配役”を考慮することです。1作には今まで演技をした経験がないマイケルの親友の写真家、ペリーを3回のリハで舞台に出してしまいました。というのも、彼の仮の母やくの女優さんが大柄な人だったのでそれとマッチするのは、2メートル近い130キロの (近所に住んでいる)ペリーしかいなかったのです。 あくまで、ビジュアルキャスティングでしたが それでも経験なしで脚本をすぐに暗記して飛び込んでしまったペリーもすごい度胸ですよね。

審査員にはトロンことブルースボックスライトナー氏がきてくださいました。メリッサと熱々カップル。 いいですねー。 チャーリーも今年からアーチスティックデレクターとしての活躍を楽しみにしています。

また、今回も本当のプロの方とお仕事する機会に恵まれました。 “大草原の小さな家”の メリッサ・ギルバート、”サタデーナイトライブ”のロライン・ニューマン、ブロードウェーや“ニュースラジオ”で知られるビッキー・ルイス、またおなじみジムビーバーとチャーリーなど大御所を演出する機会なんてまさに”夢の実現”。 何よりものクリスマスプレゼントでした。 (あ、マメにいただいた最高赤ワインの次かな!)。

12月はすべて週末劇場入りしていたので、19日の千秋楽以降の祝日2週間はマイケルと過ごしました。

カタリナ島のビーチ。ボルディー山には雪が積もっているようです。

といっても、祝日は ”義理行事”ばかり。 クリスマスは2時間ほど北に向かったベーカーズフィールド (スタインベックですよ)で マイケルとご両親と過ごし、その後は何度かマイケルのパーティーのお手伝い、29日は劇団のパーティー、マイケルの友達とカタリナ島、などイベントが続き あっっっっと云う間に2010年が終わってしまいました。

’歳をとると1日が長く1年が短い”とはよくいったものですね。

2011年も健康で安全な1年になりますように!

今年もよろしく御願い致します。

アリガト会は2008年9月にたちあげた日本語劇団. こちらで活躍している日本人を集め、公演は英語字幕でどなたでも楽しめる “人情劇団”。 やっとのことで旗揚げ公演は今年の5月母の日の週、瞼の母と決定. 稽古に励んでおります. (ああああ、あと3ヶ月しかないぞー)日本から姉妹劇団の和の輪 城谷小夜子先生が友情出演をしてくれます!

korakuの肉団子定食をのほほーんとたべれるのも一世の努力のお陰だい!

なぜこのロスで日本語劇団なんか、とおもわれるかもしませんが これは戦前戦後渡米し この地で頑張ってくれた ジーちゃんバーちゃんへの 感謝の気持ちを私たちなりに表した劇団なのです.

もう20年近くにもなりますが はじめてロスにきたときは本当にびっくりしました。 当時”ヤオハン”という 巨大マーケットがダウンタウン小東京(いまは若者にはJタウンとよばれていますよ)に堂々とムネをはり 一階は食品、二階は家具、3階はレストランと充実。 移住してきたばかりの私たちには衣食住ホームシックの予防でした。ひじきも布団も竹でできた耳かきもここで買えたのです.

そのあとマーケットのちかくの小東京ビレッジにいき できたてのイマガワ焼きを食べることができ、又感動〜。

こんなに異国で楽な生活をできるのも100年前の人種差別と低賃金にもめげず小東京を築いた鉄道労働者たち、また戦後この小東京に戻り、また1からこの地域を盛り上げてくれた一世の方達のお陰。 どんな難関にも “仕方がないよ”とお互いに言い聞かせてがんばってくれたのです。

そして彼らが 日本文化を忘れないようにね、と地域活性化の思いも含めて始まった”二世週祭り”も今年は第71回を迎えます。

日本ならではの義理と人情を日本語で世界の人に感じて欲しいのもありましたが、アリガト会は 一生懸命働いて昭和大正の劇を観る時間も場所もなかったジーちゃんバーちゃんのために “昔の日本”をタイムマシーンにのっけてもってきたい〜という思いもあるのです。

そんなんでチケット売れるの、とも云われましたが アメリカ人で日本文化に興味あるひとは とっても多いのです. 観客の8割が非日本人に増えています.

もう少し日系の人たちにもプロモしないと本随を忘れちゃってますね. あらあら。

アリガト会のメンバーは“なんでこんなに良い人たちが集まったのおおおおお?”とおもうほど心暖かい人たち。 いっしょに歳をとっていこうね!

さてさて、やっと 日本語のみのブログを立ち上げました〜、ほかのサイトに出していたものと統一。amebloとおんなじものを掲載しますよ〜。

太平洋の向こう側の又です。

(January 28)
I will be at the DINAIR BOOTH this weekend! This is a GREAT show deal for people who hasn’t tried the airbrush make up!
http://www.airbrushmakeup.com/showdeal/

Stop by! I will be there – Sun. Jan 30th & Sat. Jan 31st – 11 AM to 2 PM for sure.

Make up by Al / Dinair & Photo by my Michael!

わりと祝日となると 仕事が進まず機嫌が悪くなってしまう私でしたが、近頃休めることはありがたいこと、と思い直し 休日をできるだけ楽しもうとしています.

7月4日はアメリカ独立記念日。 234歳だそうです. 日本に比べればアメリカは赤ちゃんじゃないか、とはよく聞きますが他の国に比べたら年配さんなんですよ。日本でも、1945の降伏記念日を 現代日本の始まりとみる方もいらっしゃるようですね。 

今年の記念日は日曜日にあたるため、金、土、日、月と休暇をとった人もおおいようで、飲酒運転者をさけるためうちでおとなしく物書きをしていました。

土曜の夜は身近な友人をよび 室内バーベキュー ”鉄板”をしました。 ベジタリアンのためにみそしるは 豚なし豚汁にしたのに パーティーに きたのはみんな肉食人ばかりでした! ハハハ! まあ、これを予定したのは前日でしたから こられない人が多かったのは仕方がありませんね.

いつもの集まりは大体真夜中頃にはほとんどみなさん帰ってしまい、残った少人数は3、4時まで語り合う、というのが通常です. 3日のよるも5時半まで起きていたので みんなぐったり。4日は2時頃 のそのそと 朝食、昼食、夕食をあわせたカレーライスとサラダを、 11時に夜食としてゴートチーズ、フルーツ、ワインをいただきました。

こんなボヘミアンな生活ができるうちがしあわせですね!
(ちなみにこの写真は 先月グリフィスパークにいったときの写真です)

睡眠は2時から8時の6時間です。 
朝一番でまず 前庭に野鳥に鳥の餌、そして野生のリス用にピーナッツを撒きます。 
コーヒー豆を挽き、コーヒーメーカーのスイッチを入れ、ちょうどシャワーから出てきた頃にはハニーがコーヒーに砂糖とミルクをいれて待ってくれています。

9時頃から、月曜日は日本語の教師、 水曜日はゲッテー美術館、また日によって英語のコーチング、ビジネスコンサルタント、翻訳を始めます。 自宅よりも 仕事の能率が上がるのは オフィスで黙って仕事すること。自宅から20分ほど離れている事務所は豆吉と共同しておりまして、 毎日幼稚園にいるような気分で仕事しています。2人で話すことは 食べ物とダイエットのことばかり。17年間の友情を保つ秘訣なんですよ。

だいたい夕方2時ぐらいから 劇場、もしくは非営利団体のファイヤーローズ関係の仕事に移り、5時から6時に休暇をいただき 7時からクラスを教える、というのが通常。

火曜日は演劇、水曜日はアリガトカイ、またその他の夜は ソロパフォーマンスワークショップ、発音矯正、ヴォイスー発声法、セールス、プレゼン法を教えています。

10時半頃にクラスを終え、少し仕事をまとめ、夜12時前には自宅に帰るように心がけています。 (ハニーと1日を始め、1日を終える約束ナノです!!) 

夜は 雑誌 (ニューヨーカーとデスカバリーマガジンを購読してます)を読む、ブログやエッセーを書くよう心がけていますが コンピューターに時間を “ズルズル” と吸い込まれ アラヤダ、もう寝る時間だわ、なんていう夜がほとんど。

週末は 子供のクラスと日本語教育を広めることに集中するようにしています。
できるだけ週に1度はホームクッキングをするようにしているんですがねー、ちょいと近頃忙しく外食ばかりで申し訳ないです。

わりと平凡な 又の一週間でした!

私が学生だった頃、KYといったら コトシモヨロシクオネガイシマス、という意味でした。 最近(たぶん日本だったら随分前になるんでしょうね)KYとは ”空気を読めない”という意味ということを聞き、また年を感じました。

昨日6月20日は私のXX歳の誕生日でした。 アメリカ人はパーティー好きなので、当日のお祭り騒ぎを誕生日さけるため、公では6月2日が私の誕生日となっています。 www.facebook.com/matamura 

友人たちは年末と誕生日は私が静かにほっておいてほしいことを知っているので 食事へのお誘い、電話もイーメイルも控えてくれるのですが、アメリカ人の友人はそんなことは気にしません。
昨日は日曜日、また父の日ということもあり子供のクラスもなかったので ハニーとゆっくり日向ボッコしていると ハニーの友達が予告なしに現れました。 ハニーが”今日は彼女の誕生日だから。。。”といっても ”帰れ帰れ”の行間が読めず、最終的には ”さてそろそろ食事にだかけるから、さようなら”と ちょっと嫌みたらしく私が追い出しました。

こちらでは、私はアウトスポーケン、はっきり物事を言う人、と思われています。 それは アメリカ人ははっきりじぶんの意思をいわなければ”つたわらない国民”なので、そうしているのです。 この多種民族の国民に空気をよめ、と期待するのもおかしな話です。

ですから、よけいに毎週水曜日の日本人劇団アリガトカイの皆さんがありがたいですね。 同じ国民同士がこの国でも、結団してしまいがちになるのもわかります。やはり同じ国民同士だからこそ言わなくても分かってくれるということは多いです。

しかしこの国に根をつけたからには その根を全土にも広げ 大きくなりたいですね!

英語でのBLOGは http://mycandidopinion.com/category/guest-bloggers/ に載せています。 実はこのページが 某有名ネットワークに購入されるかもしれないと いううわさがあり、 すこし楽しみです。

よく ”英語で書けていいですね、” と、仰ってくださる方もいますが、実はきちんと私のアマチュアライティングをなおしてくれる編集者がいるのです。

まず、エッセーの場合 テーマをみつけ次第、カジュアルにブレインストームもかねて下書き、それから起承転結を考え書き直し。 そして ハニーに英語を直してもらい、ウェブマスターに送ります。そして事務所の方でテーマが適しているか、他のエッセーと似すぎていないか等を考え 編集して私のところに送り返し、私のゴーサインが出次第 ウェブへ発信となります。

戯曲の場合は ほとんどテーマを先にもらい、セットや小道具、監督、劇場、予算などをできるだけ考慮し全体を書きあげ、そのまま下書きを暇な役者さんに ”本読み” ”テーブルリード” してもらい、口語として変な箇所、衣装代えの時間を踏まえて 書き直し、そうしてやっと 1稿が出来上がります。

アメリカに住んでもう15年。まだネイティブのようには 書くことができないと 愚痴るたびに  約14%のアメリカ人がリテラシーではないという調査を思い出します。そんな悲しい現実を 見て元気付けられるのも情けないですね。でも 日本で学ぶ姿勢の基本を身に着けておいてよかったとおもいます。

本当は もう少し腰をすえて英語の勉強ができたらいいな、 とおもうのですが、”時間は自分で創る”ものと分かりつつ、目先のことばかりでできてないのです。 とほほ。。。