Kaz S. Matamura

about Life of Squid, Chicken Y Squicken

劇製作を成功させる秘訣はご存知の通り Control Freak になることです。

とはいっても コントロールしたいからするのではなく 自分の頭のなかに生きているビジョンと会話できるのは自分だけなのでどうしても コミュニケーションがよほど上手でない限り 一人芝居のワンマン劇製作になってしまうんですよね。

しかし10年以上ハリウッドでアメリカ人に囲まれて仕事をしていると”当てになるやつがいないから無理矢理仕事を団員におしつける、”という 手法を身につけました。 アメリカ人はいわないと何もしてくれないので 何度もいやみたらしく言います。 しかし、日本人のメンバーは大違い。アリガト会はほんとうにありがたい。

先月の第9回10分劇コンテストの打ち上げの料理は豆吉と2りで 準備し、劇場に運んでからはメンバーに劇の公演中に 外の駐車場で並べてもらい 劇終了とともに お料理の載っているテーブルを運んでもらいました。

お料理はどんなに忙しくても、私にとってのセラピーです〜。

 

材料です。アメリカは何でもおおきい!!!

 

サンドイッチロールとモザレッラチーズサラダ。夏にはぴったり!

 

 

 

メキシコ料理のタキトス、エンパナダ、そして中辛ソーセージパスタです。

 

やはりデザートは3段重ねで! いつもリーダになってくれるグレッグには今回は舞台演出もチャレンジしてもらいました。

お久しぶりです。 無事に ”瞼の母” (アリガト会)旗揚げも終え、Airbrush make up のワークショップ、そして事務所の引っ越しも無事におえ XX歳の誕生日パーティーの準備をしているところです。

カルフォルニアでは”冬ごもり”ではなく ”夏ごもり”の準備をします。 遊ぶのがだいすきなアメリカ人はいい天気が続く夏休みを精一杯満喫するために 5月と6月に仕事を詰め、7月と8月のバケーションにそなえる様です。 

ですから、今月はコーチング、コンサルテーションが多めにはいり 新しいホームオフィスも 迷路のように箱がつんであり、昨夜ダーリンに ”明日、お客さんがくるからきちんとしておいてね、”と警告をだされ 朝方3時まで掃除をしていました。

日本の生徒の皆さん、ごめんなさい。 テキストはちょっとお待ちください。 ”キチンと演技法を教科書にして夏までに送るわよ、”なんて偉そうにいっていた私は自分を知らなすぎました。 こちらの”夏ごもり”のあいだにまとめて秋には出版します。

では、エアーブラシのダイネアーに出勤してきます。(土曜日なのに、む〜) ただいまwww.dinair.jpをたちあげています〜。

 

被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
そして犠牲者の方々には 哀悼の意を捧げます。

 

日本国リーダーである者の国民受けのための政治パフォーマンスと遅い対応のため多くの被災者が自然以外から被害を負っています。 時間は待ってくれません.自分のエゴはけし、国民を先に考えてください.

政治家は国民の下で支えるべき者。このような緊急時期は国民をまとめ、他国に頭を下げ助けを求めにいってください。 批判はしたければあとですればいい、でも ”天”の意を自分なりに解釈し犠牲者の家族の気持ちも考えずに、この声明は横柄さにも限度がある。 心なしのリーダーに日本のような強靭な国民をまとめることはできない.

(2011年元旦)

第七回10分劇フェスティバルチラシ

第七回10分劇フェスティバルチラシ

無事にロスにて日本より17時間遅れて年越しいたしました。 おかげさまで2010年は公私ともに 最高・psychoな一年になりました。

まず、今年の1月には3 “第7年度10分劇フェスティバル”を2週間にかけて14作を製作。 ほぼ “満員御礼”が続き アメリカ演劇界では1人劇・モノログ劇の神様とよばれる ポールリンク氏と一緒にお仕事することができ、 審査員には こちらのコメディー番組(ウィルアンドグレース等)の制作、脚本を手がけることで知られるアダムバー氏にも参加していただき、 最終日の”the best of…”(21作品の中から選ばれた6作品を公演し、その中から最も優れた作品が発表される日)雨ながらも大入! 同日の打ち上げパーティーはよるの1時まで続きました。

ロンハワード夫妻の真ん中が娘のペイジ、チャーリとタラ。 演出した”ベッド”のキャストの4人です。

そのあとすぐに 短編もの新作シリーズ ”ベットルーム・シークレット”を発表。やはりアメリカ人役者もミーハーで、有名人が参加となると”われもわれも”と出演したくなるようで、今までの作品の中で何よりも楽なキャスティング・配役。 この作品を通じて チャーリー・シュレイター、ジム・ビーバー、タラ・ストロングと親しくなり今の有名人が入団しやすい”新ニューローズ”のアイデアが誕生。2011年中にメンバーを50人に増やす予定です。

Dinairのファンタジーメークです。またマイケルに撮ってもらいました。

今年の夏から ダイネアーというエアーブラッシメークアップ会社にコンサルタントとして働くことになりました。 もともと、インターカルチュラルコンサルタントとしてのお仕事だったのですがなぜか “日本マーケット専門”と位置づけされてしまいました。 エアブラッシのメイクは“よれない、色が長持ちする、ナチュラルに仕上がる、”といった利点があり、また手先の器用な日本人にはすぐテクニックが身に付きま、日本からの素敵なメークアップアーチストさんもよくいらっしゃいます。 http://www.travel-a-s.com/airbrush.htm

(人との出会いというのは不思議なモノでこのお仕事を通じておあいした 東出さんには日本で私が演劇を教える際、大変お世話になりました。)

招待状の裏面

8月にはarigatokaiが土曜日に3週連続公演をしました。 こちらはコンパクトに巡業公演ができるようにした“耳なし芳一”と“屋上の狂人”の2本だて。3週間の公演の方が圧倒的に役者として上達がみえる!ということが明らかになりました。 ロングランでの公演があってこそプロとしての成長がきたいできますね。

11月には12年ぶりに日本へ帰国。 演劇の講習、又村家との再会、仙台の紅葉などなどバラエティーにあふれた8日間(実6日)でした! こちらはまた別にあとで写真と小話を。

さてさて、帰国したこちらは11月の謝肉祭をこしてしまうと ’ホリデームード”になり、アメリカ人はあまり働きたがりません。元々 今年の12月に行われる “第8年度10分劇フェスティバル”では グループC (三週目)で行われる2作しか演出しない予定だったのですが、デレクター(演出家)や役者の心変わりで結局6作も演出することになってしまいました。 やはり、稽古の時間がない場合、何よりも大切なのは “才能よりも適切な配役”を考慮することです。1作には今まで演技をした経験がないマイケルの親友の写真家、ペリーを3回のリハで舞台に出してしまいました。というのも、彼の仮の母やくの女優さんが大柄な人だったのでそれとマッチするのは、2メートル近い130キロの (近所に住んでいる)ペリーしかいなかったのです。 あくまで、ビジュアルキャスティングでしたが それでも経験なしで脚本をすぐに暗記して飛び込んでしまったペリーもすごい度胸ですよね。

審査員にはトロンことブルースボックスライトナー氏がきてくださいました。メリッサと熱々カップル。 いいですねー。 チャーリーも今年からアーチスティックデレクターとしての活躍を楽しみにしています。

また、今回も本当のプロの方とお仕事する機会に恵まれました。 “大草原の小さな家”の メリッサ・ギルバート、”サタデーナイトライブ”のロライン・ニューマン、ブロードウェーや“ニュースラジオ”で知られるビッキー・ルイス、またおなじみジムビーバーとチャーリーなど大御所を演出する機会なんてまさに”夢の実現”。 何よりものクリスマスプレゼントでした。 (あ、マメにいただいた最高赤ワインの次かな!)。

12月はすべて週末劇場入りしていたので、19日の千秋楽以降の祝日2週間はマイケルと過ごしました。

カタリナ島のビーチ。ボルディー山には雪が積もっているようです。

といっても、祝日は ”義理行事”ばかり。 クリスマスは2時間ほど北に向かったベーカーズフィールド (スタインベックですよ)で マイケルとご両親と過ごし、その後は何度かマイケルのパーティーのお手伝い、29日は劇団のパーティー、マイケルの友達とカタリナ島、などイベントが続き あっっっっと云う間に2010年が終わってしまいました。

’歳をとると1日が長く1年が短い”とはよくいったものですね。

2011年も健康で安全な1年になりますように!

今年もよろしく御願い致します。

アリガト会は2008年9月にたちあげた日本語劇団. こちらで活躍している日本人を集め、公演は英語字幕でどなたでも楽しめる “人情劇団”。 やっとのことで旗揚げ公演は今年の5月母の日の週、瞼の母と決定. 稽古に励んでおります. (ああああ、あと3ヶ月しかないぞー)日本から姉妹劇団の和の輪 城谷小夜子先生が友情出演をしてくれます!

korakuの肉団子定食をのほほーんとたべれるのも一世の努力のお陰だい!

なぜこのロスで日本語劇団なんか、とおもわれるかもしませんが これは戦前戦後渡米し この地で頑張ってくれた ジーちゃんバーちゃんへの 感謝の気持ちを私たちなりに表した劇団なのです.

もう20年近くにもなりますが はじめてロスにきたときは本当にびっくりしました。 当時”ヤオハン”という 巨大マーケットがダウンタウン小東京(いまは若者にはJタウンとよばれていますよ)に堂々とムネをはり 一階は食品、二階は家具、3階はレストランと充実。 移住してきたばかりの私たちには衣食住ホームシックの予防でした。ひじきも布団も竹でできた耳かきもここで買えたのです.

そのあとマーケットのちかくの小東京ビレッジにいき できたてのイマガワ焼きを食べることができ、又感動〜。

こんなに異国で楽な生活をできるのも100年前の人種差別と低賃金にもめげず小東京を築いた鉄道労働者たち、また戦後この小東京に戻り、また1からこの地域を盛り上げてくれた一世の方達のお陰。 どんな難関にも “仕方がないよ”とお互いに言い聞かせてがんばってくれたのです。

そして彼らが 日本文化を忘れないようにね、と地域活性化の思いも含めて始まった”二世週祭り”も今年は第71回を迎えます。

日本ならではの義理と人情を日本語で世界の人に感じて欲しいのもありましたが、アリガト会は 一生懸命働いて昭和大正の劇を観る時間も場所もなかったジーちゃんバーちゃんのために “昔の日本”をタイムマシーンにのっけてもってきたい〜という思いもあるのです。

そんなんでチケット売れるの、とも云われましたが アメリカ人で日本文化に興味あるひとは とっても多いのです. 観客の8割が非日本人に増えています.

もう少し日系の人たちにもプロモしないと本随を忘れちゃってますね. あらあら。

アリガト会のメンバーは“なんでこんなに良い人たちが集まったのおおおおお?”とおもうほど心暖かい人たち。 いっしょに歳をとっていこうね!

私が学生だった頃、KYといったら コトシモヨロシクオネガイシマス、という意味でした。 最近(たぶん日本だったら随分前になるんでしょうね)KYとは ”空気を読めない”という意味ということを聞き、また年を感じました。

昨日6月20日は私のXX歳の誕生日でした。 アメリカ人はパーティー好きなので、当日のお祭り騒ぎを誕生日さけるため、公では6月2日が私の誕生日となっています。 www.facebook.com/matamura 

友人たちは年末と誕生日は私が静かにほっておいてほしいことを知っているので 食事へのお誘い、電話もイーメイルも控えてくれるのですが、アメリカ人の友人はそんなことは気にしません。
昨日は日曜日、また父の日ということもあり子供のクラスもなかったので ハニーとゆっくり日向ボッコしていると ハニーの友達が予告なしに現れました。 ハニーが”今日は彼女の誕生日だから。。。”といっても ”帰れ帰れ”の行間が読めず、最終的には ”さてそろそろ食事にだかけるから、さようなら”と ちょっと嫌みたらしく私が追い出しました。

こちらでは、私はアウトスポーケン、はっきり物事を言う人、と思われています。 それは アメリカ人ははっきりじぶんの意思をいわなければ”つたわらない国民”なので、そうしているのです。 この多種民族の国民に空気をよめ、と期待するのもおかしな話です。

ですから、よけいに毎週水曜日の日本人劇団アリガトカイの皆さんがありがたいですね。 同じ国民同士がこの国でも、結団してしまいがちになるのもわかります。やはり同じ国民同士だからこそ言わなくても分かってくれるということは多いです。

しかしこの国に根をつけたからには その根を全土にも広げ 大きくなりたいですね!

毎週水曜日朝10時から昼の2時まで ゲッティーミュージアムでドーセントとしてボランティアをしています。
昨日は 家にお客さんが泊まっていたので 6時半に起床、7時に近所のレストランで食事を済まして ゲッティーに向かいました。 
ノースハリウッドに住んでいたころは 朝9時に家を出れば 9時45分の会議には間に合っていたのですが シャドウヒルズに引っ越してからは 8時15分に家を出ています。 90分の渋滞の間は、IPODで ナショナルパブッリクラジオ番組 THIS AMERICAN LIFEを 聞いているのであっというまにすぎてしまいます。
ミーティングの後、早速 朝から アソシエーション・オブ・プリザベーション・テクノロジーの建築家、デザイナーさん、復興科学の学者さん35人に ゲッティーセンターの建築ツアーをしました。 建築のプロの皆さんにこんな青娘が エラそーにツアーをするのもなんだとおもい、ゲティーを建てた建築家リチャード・マイヤーを中心としたトリビアインフォでまとめたコメディーツアーにしてしまいました。 ゲティー側にばれたらまずいか?

2時にもう1本スクールツアーを終え、またバレー (山を越えたサンフェルナンドーバレーという丘側に私は住んでいます)に戻り 3時に 日本語の個人レッスンを教授のおじさんに教えたあと、 ノースハリウッドのオフィスに戻り、ちょっと 豆とコーヒーブレイク (休息は大切ですよ、みなさん!)、その後 ちょっとアクセントリダクションをメイちゃんにプライベートで教え、7時半に ありがと会の皆さんと 芳一プロダクションのだめだし。  。 この会はみんなまじめでいい人たちに恵まれつつ 個人個人に芯があるので 長続きしたら必ず大きくなるなるな、と思いました。

その後、友人と ブリティッシュパブ ロビンフッドで 軽く夜食とビール (ギネスです!)。

家に帰ったのは 夜の1時。 ハニーはすでに寝床していたので、静かにシャワーを済まして、 本を読みながら2時ころには気絶したように寝着きました。

ありがと会製作”耳なし芳一”、2日間夜の11時30分公演、無事に終了しました。 四谷怪談ではないので呪われる心配はないと思いつつ 一応 キャストとスタッフは リトル東京の高野山まで 御祓いに1週間前にいっています (豆と私はセドナのため欠席)。”平家ののろいがあるんだよ” と脅されたりしましたが 私にしては、アメリカで対戦話を伝える機会があって お化けもよろこぶんじゃないかなー、と思います。 忘れられてしまう、というのが人間にとって怖いことでもあるんですよね。
アメリカで時代物をやるというのも難しいもので、オーセンティックでありつつ エンターティニングでなければいけません。 字幕があるので、あんまり動きすぎ忙しい舞台にしてしまうと お客様が字幕を読んでいる間に見せ場を逃してしまうということもありがち。 幸い日本人は動作が優雅なので それを生かし ゆったりと流れるような作品になりました。
リハーサルは12回くらいでしたでしょうか。 寺男のヤス君とまきチャンは 衣装稽古から参加。 でも チームワークの土台があると本当にやり易い。 劇団があってよかった、とおもいます。 これが一発劇だったら 最低でも 3ヶ月は必要だったでしょう。
母と母の友達のマツダタカトさんに書いていただいた脚本は (1日で書いたらしいです)、実はこれまたギリチョンまで 英訳する時間がなく 本番二日前に豆吉に字幕製作の為に渡しました。  わるい監督だねー。 ごめんね豆吉!
ちなみに琵琶は マイハニーに造ってもらいました。 これまた詳細は後ほど。
みんな手作りなので 怖いけど暖かい作品。 また公演したいですね。
またまた成功。万歳だ。

よく近頃、本当に日本人でよかったなと思うことがあります。 先週末、急用でアリゾナのセドナに豆吉と出張に行かなければいけませんでした。 土曜の昼間の便で出発、日曜の夜LAに戻るという30時間弱の外出とはいっても、今は 今週オープンの”耳なしほういち”のヘル・ウィークです。 Hell Week(地獄の週) というのは オープング日の1週間前の7日間をさし、睡眠不足と忍耐力のテスト、また マーフィーの法則の実験週です。感情表現の激しいアメリカ人は よく泣いたり、怒鳴ったり、モノを投げたり、どんなぶりっ子役者でも本性が出てくる面白い週でもあります。 ベテランのプロデューサーは自ら”神隠し”にあい、スタッフの前から消える週としても知られますが 私のような下っ端の現場プロデューサーは小道具から照明のことでてんてこ舞いになっています。

とはいっても 急な仕事が入ってしまったら仕方がない。 金曜の夜中、リハーサルをすまし (これまた別の1人芝居の監督)飛行機の予約をとった後、AKIRA君に連絡。 ”明日土曜の怪談御祓いには参加できませんが セドナで悪いモンは はらってきます”と伝え、真夜中に小さなお子チャマもちの MIEママ宅に 御祓いの際に必要な書類とできたてのチラシを配達(申し訳ない!!!)。準備万端と いました。

しかし、次の日土曜、メンバーのザトキンから、”オフィースの鍵はどこですかー”と電話がきて、ガガガガ-ン。 みんな 御祓いの後やる気満々、稽古兼コスチューム作りに突入。 メンバー全員 ”ススンデ” 夜遅くまで励んでいたのです!!!

またもう1つのアメリカ人でまとめた ニューローズ劇団のメンバーとは大違い。彼らは こちらから”君たち、ちゃんと時間通りにきてね、”といちいち連絡しても遅れる。

いやー、言わなくてもわかる日本人って凄いですね。やっぱり努力家の国民。これからはこの長点をみんなに見せびらかして ”影の努力を表に出してクールなものにする”ことに努めたいですね。 ハードワークって本当に気持ち良い。生きがいは自分にチャレンジしてリミットを伸ばし、新しい自分を見つけ続けることにあると思います。

ちなみに セドナでは天気にも恵まれとてもいい出張でした。早く ARIGATO会強化合宿を行いたいですね。